バリトンサックスという楽器を手にした人なら、誰もが一度は「この楽器は重い。低い。目立てない」という壁にぶつかる。しかしジェリー・マリガン(Gerry Mulligan, 1927–1996)はその壁を、あまりにも軽やかに——しかも「哲学」として——壊してしまった。

ピアノなしのカルテット、バッハのような対位法、「歌うバリトン」——マリガンが作り上げたサウンドは、バリトンサックスが「低音の支え役」ではなく「メロディーを語る楽器」であることを世界中に証明した。Down Beat誌での42年連続バリトン部門1位という記録が、その偉業の大きさを物語っている。


生涯と形成的背景

転居を繰り返した少年時代

ジェラルド・ジョセフ・マリガン(Gerald Joseph Mulligan)は1927年4月6日、ニューヨーク州クイーンズに生まれた。父はエンジニアで、家族は職場の関係で幼少期から転居を繰り返した。オハイオ州マリオン、ニュージャージー州南部、シカゴ、カラマズー、デトロイト、ペンシルベニア州レディング、フィラデルフィアと、少年時代は各地を転々とした。

この転居続きの生活は、ある意味でマリガンの音楽性を形成したとも言える。特定のローカルシーンに縛られず、各地の音楽文化を吸収しながら育った結果、彼の音楽的発想は非常に広く自由なものになった。

音楽への興味は幼少期から旺盛で、ピアノ、クラリネット、サクソフォンを次々に習得。16歳でラジオ局の専属楽団にアレンジを売り込むという驚異的な早熟さを見せ、高校を中退してプロとしての道を歩み始めた。

早熟な編曲家として——ジーン・クルーパからマイルスへ

1946年、マリガンは18歳でジーン・クルーパ楽団に参加。演奏者としてだけでなくアレンジャー(編曲家)としても才能を発揮した。その後クロード・ソーンヒル楽団でも腕を磨き、アレンジャー・ギル・エヴァンスと出会う。

エヴァンスのウェスト55丁目のアパートはジャズメンの集まる「知的なサロン」となっており、マイルス・デイヴィスもそこに出入りしていた。この出会いが、マリガンをジャズ史上最も重要なレコーディングの一つへと導くことになる。


Birth of the Cool——クールジャズの「設計者」

1948年の革命的なノネット

1948年9月、マイルス・デイヴィスは九重奏団(ノネット)を結成した。メンバーはトランペット(マイルス)、バリトンサックス(マリガン)、トロンボーン(マイク・ズワリン)、アルトサックス(リー・コニッツ)、フレンチホルン(ジュニア・コリンズ)、チューバ(ビル・バーバー)、ピアノ(ジョン・ルイス)、ベース(アル・マキボン)、ドラムス(マックス・ローチ)という編成だ。

このグループはライブ演奏の機会はわずかだったが、Capitol Recordsに3回のセッションで12曲を録音。1957年に12インチLPとしてまとめられた『Birth of the Cool(クールの誕生)』は、ジャズ史を変えた一枚として今なお語り継がれる。

マリガンはこのアルバムで演奏者としてだけでなく、作曲・編曲の中心人物でもあった。「Jeru」「Venus de Milo」「Rocker」の作曲、そしてその他にもアレンジを手がけ、クールジャズの「理論的骨格」を築いた。この功績から彼は「クールジャズの知的建築家」とも呼ばれる。

クールジャズとは何か?

「クール(Cool)」という言葉は、それ以前のビバップと対比的に理解するとわかりやすい。1940年代のビバップは速く、熱く、技術的に複雑なスタイルだった。対してクールジャズは、感情を抑えた「クールな」表現、整理された音楽構造、透明感のある音色を特徴とする。

マリガンのバリトンはこのクールジャズの美学を完璧に体現していた。重く暗くなりがちなバリトンを、まるでアルトのように軽やかに——かつ思慮深く——吹くスタイルは、多くのリスナーに「バリトンってこんな楽器だったのか」という驚きをもたらした。


ピアノレスカルテット——制約から生まれた革命

The Haig という小さなクラブの奇跡

1952年、ロサンゼルスのウィルシャー通りにある小さなクラブ「The Haig」での出来事が、ジャズの歴史を変えることになる。マリガンはスタン・ケントン楽団のアレンジャーをしながら、このクラブで演奏していた。

ある月曜日のジャムセッション、バイブラフォン奏者レッド・ノーヴォのトリオがメインのステージを取り、クラブにあったピアノが使えなくなってしまった。通常ならここでカルテット演奏は不可能と判断するところだが、マリガンは発想を逆転させた。

「ピアノがないなら、ピアノなしで演奏すればいい。むしろ和声的な"束縛"がなくなる」

こうして誕生したのが、マリガン(バリトンサックス)、チェット・ベイカー(トランペット)、カーソン・スミス(ベース)、チコ・ハミルトン(ドラムス)という編成の「ジェリー・マリガン・カルテット」だ。ピアノがいない——この「欠如」こそが、最大の「自由」となった。

対位法という魔法——バリトンとトランペットの対話

ピアノがないということは、コードを弾いて音楽の「土台」を作る楽器がないということだ。それは同時に、コード進行の「縛り」から解放されることでもある。マリガンはこの自由を最大限に活かし、「対位法(Counterpoint)」という技法を中心に据えた。

対位法とは、複数の独立したメロディーラインが同時に進行し、互いに絡み合いながら音楽を形成する技法だ。バッハのフーガや、ディキシーランドジャズの「コレクティブ・インプロビゼーション(集団即興)」に見られる手法に近い。

マリガンのバリトンとベイカーのトランペットは、ちょうどその対位法の二つのラインを担った。ベイカーが上昇するメロディーラインを歌えば、マリガンの低いバリトンが下降するラインで応える。その絡み合いはまるで「知的な会話」のようだ。これが「ウェストコースト・ジャズ」の定義的サウンドとなった。

逮捕と復活——チェット・ベイカーとの別離と再会

ピアノレスカルテットは瞬く間に人気を博し、1952年末の録音はPacific Jazz レーベルから発売されてヒットした。しかし1953年、マリガンは麻薬所持で逮捕され、6ヶ月間服役する。

釈放後、チェット・ベイカーを再び起用しようとしたが、その頃にはベイカーがソロとして独立しており、財政的な理由から再加入を断られた。二人は1955年のニューポート・ジャズ・フェスティバルで一時的に再共演し、その後も折に触れて共演した。しかし1952〜53年のカルテットが放った輝きは、後世の語り草となった。


音楽的スタイルの解剖

「軽やかで透明な」バリトンという革命

マリガンがバリトン界にもたらした最大の革新は、このシンプルな一言に集約される——「バリトンは重くない」。

ハリー・カーネイのバリトンが「深く暖かく圧倒的」だとすれば、マリガンのそれは「明るく透明で軽やか」だ。同じ楽器から、これほど異なる音が生まれるというのは、実は音楽的には革命的なことだった。カーネイが「バリトンはこれほど深く鳴る」を証明したなら、マリガンは「バリトンはこれほど歌える」を証明した。

マリガンは「楽器本来の自然な響き」を重視し、過度な増幅や音色加工を好まなかった。彼の音は「光のような」透明感があり、それがピアノレスという開かれた空間の中で余計に輝いた。

レスター・ヤングから学んだメロディーの「歌い方」

マリガンの音楽的ルーツとして欠かせないのが、テナーサックス奏者レスター・ヤング(Lester Young)の影響だ。ヤングは1930〜40年代、コールマン・ホーキンスとは対照的な「軽やかで歌うような」スタイルでテナーを吹き、後のクールジャズの原型を作った人物だ。

マリガンはヤングのメロディーへのアプローチ——フレーズを「語るように」、音と音の「間」を大切にする表現——をバリトンに移植した。これにより、低い音域の楽器でありながら「歌ごころのある」ソロが可能になった。

作曲家・編曲家としての深み

マリガンは単なる演奏家を超え、すぐれた作曲家・編曲家でもあった。「Jeru」「Venus de Milo」「Rocker」(いずれもBirth of the Coolに収録)、「Line for Lyons」「Walkin' Shoes」「Five Brothers」などは今もジャズのスタンダードとして演奏されている。

彼の編曲は「無駄のない合理性」を特徴とする。各楽器の役割が明確で、空間を活かした書き方が、あの「涼しい風が通るような」クールジャズのサウンドを生んだ。


コンサート・ジャズ・バンド——大編成への挑戦

ピアノなしのビッグバンド(1960年)

1960年、マリガンは新たな挑戦に踏み出した。13人編成の「コンサート・ジャズ・バンド(Concert Jazz Band)」の結成だ。注目すべきは、カルテットと同様、この大編成バンドでもピアノを置かなかったことだ。

通常のビッグバンドではピアノが和声の中心を担う。しかしマリガンは「和声的拘束なしに、管楽器だけで密度のある音楽を作る」というカルテット時代の哲学を、大編成でも貫いた。

このバンドには豪華なメンバーが名を連ねた:コンテ・カンドリ、ニック・トラヴィス、クラーク・テリー、サド・ジョーンズ(後にサド・ジョーンズ/メル・ルイス楽団を結成する人物)らのトランペット奏者、ズート・シムズ、フィル・ウッズらのサックス奏者、そしてドラムスにはメル・ルイス。まさにジャズの「オールスター」だった。


これを聴け!名演ガイド

1. "Line for Lyons" — ピアノレスカルテットの金字塔

収録アルバム:『Gerry Mulligan Quartet』(Pacific Jazz, 1952〜53年録音)
共演:チェット・ベイカー(tp)、カーソン・スミス(b)、チコ・ハミルトン(ds)

サンフランシスコのDJジミー・ライオンズに捧げたこの曲は、ピアノレスカルテットの真髄を凝縮している。ベイカーの上昇するメロディーラインと、マリガンの下降するバリトンのラインが絡み合う冒頭のテーマだけで、対位法の美しさがわかる。初めてマリガンを聴く人にも、経験豊富なジャズファンにも、等しく楽しめる一曲。

2. "Jeru" — Birth of the Cool における自作の傑作

収録アルバム:『Birth of the Cool』(Capitol, 1957年発売、1949〜50年録音)
共演:マイルス・デイヴィス(tp)他

マリガン自身が作曲・編曲した曲。タイトルはマリガンのニックネームに由来する。マイルスのトランペットとマリガンのバリトンが、ゆったりとした「知的な対話」を繰り広げる。ビバップの熱狂とは異なる、「クール」という美学がここに結晶化している。ジャズ史上最重要アルバムの一つ。

3. "Walkin' Shoes" — 軽快さの極致

収録:各種アルバムに収録。1952〜53年録音版が代表的

マリガンの代名詞的スタンダード曲。ウォーキング(歩くような)と名付けられた通り、軽快で前向きなメロディーが特徴。バリトンが「歌える楽器」であることを最も楽しく示す一曲で、バリトン奏者ならば一度は吹いてみたくなる。

4. "Night Lights" — 叙情性の極み

収録アルバム:『Night Lights』(Philips, 1963年録音)
共演:アート・ファーマー(tp)、ジム・ホール(g)他

マリガンの「情感的な面」を深く知りたいなら、このアルバムを。ジム・ホールのギターとの掛け合いが生む「ウォーム&クール」の均衡は他の誰にも真似できない。深夜に一人で聴きたい一枚。

5. 『The Concert Jazz Band』(Verve, 1960〜61年)

大編成コンサート・ジャズ・バンドの名演。ピアノなし13人編成でこれほど洗練されたサウンドが生まれることに驚愕する。マリガンの作曲・編曲の才能が全開になった歴史的録音。


機材とセッティング

カテゴリ 詳細
楽器 Conn バリトンサックス(金メッキ仕上げ、現在はLibrary of Congressに保存)
マウスピース M.C. Gregory / Gale #5("Triple Dot" モデル)
マウスピースの特徴 開きが狭め(モダン基準)、ハードラバー製
リード Rico #3
音の哲学 過度な増幅を嫌い、楽器本来の「光のような」自然な響きを重視

「狭い開き」が生む透明感——M.C. Gregory / Gale の秘密

マリガンの音の透明感の鍵の一つは、マウスピースの選択にある。彼が使用したM.C. Gregory / Gale #5は、現代のバリトン用マウスピースと比較すると「開き(ティップ・オープニング)」が狭い部類に入る。

マウスピースの開きが狭いほど、リードが振動しやすくなり(少ない息圧で鳴る)、音は軽くコントロールしやすくなる傾向がある。一方で音量と音の深みには限界が生まれる。

マリガンはその「軽さ」を逆用した。大きな音量でなくても、小さな音でも音楽的に豊かに語れる——その哲学がGale #5という選択と一致していた。「楽器は鳴らすのではなく、語らせるもの」という彼の言葉は、この選択から生まれている。

マウスピースの開き(ティップ・オープニング)と音の関係については「バリサクのマウスピース遍歴」でも解説しています。

金メッキのConnサックスが語るもの

マリガンが使用していた金メッキのConn バリトンサックスは、現在アメリカ議会図書館(Library of Congress)に永久保存されている。楽器が公的機関に保存されるというのは、ジャズ奏者の中でも極めて稀な名誉だ。このことだけでも、ジャズ史においてマリガンが占める位置の特別さがわかる。


ジャズ史における位置づけ

Down Beat誌 42年連続1位という記録

マリガンはDown Beat誌のバリトンサックス部門において、1953年から1995年まで43年連続で1位を獲得し続けた。これはジャズ投票史上最も長い連続1位記録の一つである。最終的に彼のレコードを破ったのは、後継者と目されるゲイリー・スマルヤンだった(1990年代以降にDown Beat読者投票で1位を獲得するようになった)。

42年というスパンで考えると、ビバップ全盛期、ハードバップ時代、フリージャズの台頭、フュージョンの時代、そして現代ジャズの始まりまで——すべての時代を通じてマリガンは「バリトンサックス界のトップ」であり続けた。その一貫性は驚異的だ。

Grammy賞と晩年の活動

1982年、マリガンは『Walk on the Water』でGrammy賞(最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス・ビッグバンド部門)を受賞した。また1992年には、もとのメンバーを別の奏者で再現した『Re-Birth of the Cool』を録音。ウォレス・ローニー(tp)らとともに、半世紀近く前の名作を現代に蘇らせた。

晩年はアルゼンチンのバンドネオン奏者アストル・ピアソラとの共演(1974年)や、デイヴ・ブルーベックとの長年にわたる共演など、ジャンルを超えた活動を続けた。1995年11月9日、最後のパフォーマンスを行ったマリガンは、翌年1996年1月20日、膝の手術後の合併症と肝臓がんのため、コネチカット州ダリエンで68歳の生涯を閉じた。


バリトン奏者として、マリガンから学べること

1. 「欠如」を「自由」に変える発想

ピアノレスカルテットの誕生は「ピアノがない」というハンデから始まった。しかしマリガンはその制約を「和声的拘束からの解放」と捉え直した。バリトンを吹く上でも同じ発想が使える——「バリトンは目立てない」「音が低すぎる」という思い込みを「低音ならではの表現がある」に変換する思考法だ。

2. 「歌ごころ」はどんな楽器でも最優先

マリガンのフレーズには常に「歌ごころ」がある。それは即興であっても、アンサンブルでも同様だ。バリトンは音が低く、フレーズが「もたつく」ことがあるが、マリガンは音の低さを言い訳にせず、メロディーを歌い続けた。どんな楽器を吹くにも、「歌っているか?」という問いを持ち続けることの大切さをマリガンは教えてくれる。

3. 作曲・編曲の知識が演奏を変える

マリガンは16歳からプロのアレンジャーとして活動し、Birth of the Coolでも重要な作曲・編曲を担った。演奏だけでなく「音楽の構造を理解する」という知識が、彼のアドリブを豊かにした。バリトン奏者として、コード理論や対位法などの「音楽的な知識」への投資は、必ず演奏のクオリティに返ってくる。

4. 「軽やかに吹く」という選択肢

バリトンを「重く大きく鳴らす」ことだけが正解ではない。マリガンが示したように、「軽く、透明に、歌うように」吹くアプローチもまた、バリトンの可能性の一つだ。自分の音楽的方向性を考える上で、マリガンのスタイルは「重くないバリトン」という選択肢を明示してくれている。


まとめ

ジェリー・マリガンは、単に「うまいバリトン奏者」を超えた。Birth of the Coolにおける知的な設計者、ピアノレスという革命的発想、対位法による対話、42年連続1位という絶対的地位——彼の功績はバリトンサックスという楽器の「可能性の地図」を塗り替えた。

「バリトンは重い」という先入観を捨て、マリガンの「軽やかで透明な」音楽の世界に一歩踏み込んでほしい。そこには、バリトンが「歌う楽器」であることへの美しい答えがある。