「中古の Mark VI が欲しい」——この記事は、その3〜5年前から始まる長い検討の途中に着地する人向けに書きます。
私は大学4回生で中古楽器屋に立ち、1本の Mark VI を選びました。それを15年使っています。元プロのミュージシャンが手放した個体で、購入時の店員さんから「これは特別な1本だよ」と言われたのを覚えています。
ただ、その日に試奏した Mark VI は1本ではありません。何本か吹いた中で、私はある2つの判定軸でこの1本に決めました。今でも、もう1本買い足す機会があれば、同じ2軸で判定するつもりです。
軸は2つだけ。中音域 B♭〜D あたりのロングトーンの倍音の乗り方と、試奏初音の「鳴りの死に方」。視覚情報(タンポ・キー・彫刻・ラッカー)は二の次です。
巷の中古サックス選び指南は、視覚情報のチェックリストから始まります。それは間違いではありません。ただ、視覚情報は「この個体を15年使えるか」の判定材料にはなりません。15年使えるかは、最終的に音で判定するしかない、というのが私の立場です。
中古 Mark VI を選んだ私の状況——大学4回生、中古楽器屋、Super Action からの乗り換え
私が Mark VI を買ったのは大学4回生のときです。それまで大学では Selmer Super Action を使っていました。Super Action は良い楽器ですが、私が当時目指していた音色——Count Basie / Duke Ellington / Thad Jones-Mel Lewis 系の「オールドな音色」——は出ない、という感覚が強くなっていました。
アルトサックス時代からずっとセルマーの音色は気に入っていたので、セルマー以外の選択肢は考えていませんでした。残る選択肢は Mark VI。中古です。
中古楽器屋でいくつかの Mark VI を試奏する機会がありました。最終的に決めたのは、元プロのミュージシャンが手放した個体でした。シリアル番号は 5 万番台で、1960 年代の個体です。店員さんからは「これは特別な1本だよ」と聞きました。実際、その1本は15年使い続けています。
ただ、私がこの1本に決めた理由は「元プロが使ってた」「シリアル番号が良かった」「ラッカーが綺麗だった」のいずれでもありません。試奏で吹いた瞬間に、決め手と除外基準の2軸が同時に鳴ったからです。それを以下で詳しく書きます。
巷の中古サックス選び指南が「視覚」に偏る理由
本題に入る前に、私が「視覚情報は二の次」と言い切る背景を1段落だけ書かせてください。
中古サックス選びの一般指南は、「タンポ目視」「キー触診」「彫刻チェック」「ラッカー残量」が定番です。これらの視覚情報は確かに信頼性が中位はあります(再パッド済みかは目視で分かる、年代はシリアルで分かる)。だから否定はしません。
しかし、それらは「この個体を15年使えるか」を判定する材料にはなりません。楽器は最終的に音で鳴る、だから音で判定する。これが私の立場です。視覚情報は、音判定をクリアした個体に対して「修理コストはどれくらい乗りそうか」を見積もる材料として、後段で使います。順序が大事です。
視覚情報中心の指南が広く流通しているのは、楽器店側にとって「説明しやすい」からだと推測しています。タンポは見せれば伝わる、キーアクションは触ってもらえば伝わる。一方、音判定は奏者本人の耳と身体に依存するため、商業メディアでは記事化しにくい。だから空白として残っている。本記事はその空白に書き込む試みです。
判定軸①——中音域 B♭〜D ロングトーンの倍音
本記事の最重要セクションです。私が大学4回生で1本を選んだ最大の決め手は、中音域 B♭〜D あたりのロングトーンで、楽器が応えてくれた感覚でした。これを言語化します。
なぜ「中音域」を聴くのか
Mark VI を試奏する人の多くは、低音(ロー B♭・ロー C の腰)か、高音域(ハイ F#・アルティッシモの抜け)を最初に確認すると思います。私もかつてはそうでした。しかし、低音と高音は奏者の体側の条件で大きく変わる。アンブシュアが整っていない、息が浅い、リードがダメ——そういう自分側の条件で簡単に変わる音域なんです。
中音域 B♭〜D あたりは、楽器の「素直さ」が一番出やすい音域だと私は思っています。奏者の癖が乗りにくく、楽器そのものの応答が裸で出る。だから個体差の判定にはこの音域を使う。
「ロングトーン」で吹く理由
フレーズで吹くと、自分の好きなフレーズ感が乗ってしまって楽器の判定にならない。純粋なロングトーンを10秒ずつ。これだけで楽器が応えてくれるかどうかが分かります。
私はメゾフォルテで吹くのを基本にしています。pp は楽器側の応答が薄くなりすぎ、ff は楽器側の限界に行きすぎる。中間のメゾフォルテが、楽器の素直な応答を一番拾える音量です。
「倍音の乗り方」を耳でどう聴くか
これが言語化しにくい部分です。音の芯(基音)の周辺に、どれだけ豊かな響き(倍音)が乗るか。同じ音量で吹いても、楽器によって乗る倍音の量と質が違います。
私が決めた個体は、中音域 B♭ を吹いたときに、音の芯の周りに音が重なって聴こえる感覚がありました。これは比喩ではなく、自分の耳に届く音が「単音1本」ではなく「束で帰ってくる」感じ。Mark VI の中でもこの「束」の太さが個体ごとに違うんです。
反対に「束」が細い個体は、吹いていてどこか物足りない。音は出ているのに、芯しかない。倍音の積層が薄い。同じ年代・同じシリアル帯でも、この差は確実にあります。
試奏で確認する具体手順
① B♭ をメゾフォルテで 10 秒。② 次に C、D で同じ。③ 同じ音量で吹いて倍音の感覚が変わらないか。④ 息を入れる量を変えて(pp と f を行き来)、それでも倍音が落ちないか。5項目で30〜60秒です。
試奏室の環境にも触れておきます。リバーブが効いてない試奏室なら、3メートル離れた壁の方向に向けて吹くと反射音が変わります。倍音の判定は反射音込みで聴くと精度が上がるので、楽器店の試奏ブースで楽器の向きを変えて2度吹くと、片向きでは聞こえなかった倍音が現れることがあります。
判定軸②——試奏初音の「鳴りの死に方」
もう1つの軸は除外側です。決め手より先に、明らかに死んでいる個体を外します。
「初音」とは何か
マウスピースを咥えて、息を入れた最初の数音のことです。フレーズの2音目以降は、自分が楽器に合わせて調整できる。でも初音は、まだ調整が入っていない、楽器の素の応答です。
「鳴りの死に方」が意味するもの
息を入れた瞬間に、楽器が応えてくれない感覚があります。音は出るんです。でも、自分の身体が出した息に対して、楽器側からの返事が遅い、弱い、または無い。これを私は「鳴りが死んでいる」と呼んでいます。
言葉では伝わりにくい感覚ですが、一度経験すると分かります。生きている個体と死んでいる個体を続けて吹くと、初音の0.5秒で差が出る。
死んでいる個体に共通する症状
私が試奏してきた範囲では、こういう個体は数音吹いていても応答が「重い」ままでした。慣らせば鳴るかも、というレベルではない。楽器が古い/タンポが劣化/何かが詰まっている、いずれか。
反対に、数音吹くと鳴ってくる個体は、問題ありません。楽器側に身体が馴染んでいく時間が普通の中古には必要です。最初の数音で死んでいる感じがある個体だけが除外対象。
私が即除外した個体の話
大学4回生のときの試奏で、印象に残っている1本があります。シリアル番号は決めた個体より少し新しい年代、見た目はむしろ綺麗で、店員さんも「これも良いですよ」と勧めていました。
でも、吹いた瞬間に楽器が応えてこない。息を入れているのに、息の半分が消えていく感覚。10秒で楽器を返しました。店員さんはちょっと驚いていました。
その個体がどうなったかは知りません。誰かがちゃんと吹いて、リペアして使っているかもしれない。ただ、大学4回生の私の身体には、その個体は応えてくれなかった。それだけです。楽器選びは、その日の自分の身体と楽器の応答で決まります。
判定軸①と②が同じ「判定機構」で動いている理由
2つの軸はバラバラに動いているわけではありません。決め手も除外も、耳と身体の即時応答で判断しています。同じ判定機構が、「応えるか」と「死んでいるか」の両方向で動いている。
これは私の独自軸「セッティングより身体が核」と完全に整合します。楽器選びの段階でも、機材ではなく身体が判定機構として動いている。15年バリサクを吹いてきて私が辿り着いた一本筋の哲学です。詳しくはバリサクが鳴らない原因は機材ではない——アンブシュア・体幹・呼吸の身体3階層に書きました。
試奏当日の手順——5分以内で1個体を判定
具体的な手順を8ステップで書きます。スマホで開いて店頭で実行できる粒度にしてあります。
- 楽器を構える前に、ストラップで楽器を吊って手の重さで重心を確認する
- マウスピースを装着、まず初音だけ吹いてみる(5秒)
- 鳴りが死んでいる感覚があれば即除外(次へ)
- 鳴りが生きている個体なら、中音域 B♭ ロングトーンを10秒
- 次に C、D を同じく10秒ずつ
- 倍音の乗り方を耳で確認(リバーブが効いてない試奏室なら3メートル離れた壁の方向に向けて吹くと反射音が変わる)
- 良ければ次に低音 → 高音 → アルティッシモの順で範囲を広げる
- ここまで5分以内。これで決まらなければその個体ではない可能性が高い
5分というのは目安です。本当に良い個体は3分で決まることもあります。逆に5分かけても判定が揺れる個体は、次の楽器に進むサインです。
視覚情報をいつ使うか——音判定の後で
音判定をクリアした個体に対して、視覚情報を修理コスト見積もりとして使います。
- タンポ:再パッド時期と費用見積もり(音判定後)。古いタンポでも音判定をクリアした個体は、再パッドで本領が出る可能性が高い。
- キー:曲がり・歪みは音にも出るが、見て分かるならそれは末期症状。音判定の段階で違和感を覚えていれば、視覚確認は確認作業に過ぎない。
- 彫刻・ラッカー:価値の指標で、音判定とは独立した話題。コレクター向けの情報。運用奏者には優先度低。
- シリアル番号年代:個体の出自(音判定とは別軸の関心事)。Mark VI の年代論はマニア界隈で盛んだが、結局は個体差の方が大きい。
失敗回避リスト——私が買わない個体の特徴
5項目で書きます。これは私が試奏で外してきた個体に共通する特徴です。
- 試奏前から「これだけ磨かれてる個体は怪しい」——表層補修で隠している可能性。きれいすぎる中古は、何かを隠している可能性が一段上がる
- 元の所有者の素性が完全に不明——楽器屋経由で経歴がトレース可能なら安心度高。経歴ゼロの個体は、メンテナンス履歴が見えないことを意味する
- 店員が試奏を渋る——その時点でやめておく確率が高い。良い個体は店員が積極的に吹かせたがる
- 「ロー C が出ない/音程が極端に低い/タンポからの音漏れが大きい」——これらは音判定の前段階で気づける症状
- 価格が周辺市場より極端に安い/高い——市場価格 50〜80 万円の Mark VI で「30 万円」「100 万円」は理由がある。確認せずに飛びつかない
判定軸が「身体の応答」である意味——機材選びと演奏の橋
中古 Mark VI 選びは「最初の試奏」で半分決まります。試奏で楽器に応答する身体(耳と息)を持っていることが前提です。楽器選びの段階で身体を作っていない人は、楽器に振り回されます。
だから「セッティングより身体が核」(私の独自軸)が楽器選びの段階で効くんです。身体3階層(アンブシュア → 体幹・姿勢 → 呼吸)が整っていない奏者は、試奏で楽器の応答を読めません。読めないまま選ぶと、後悔します。
関連記事を併読してください:身体3階層の総論とアンブシュア判断記事。本記事の判定軸が、なぜ「身体の応答」と呼べるのかの哲学的接続が見えると思います。
それでも自分一人での判断が不安な人へ
本記事を読んでも、初めて中古 Mark VI を選ぶ瞬間に一人で決断する不安は消えないかもしれません。私自身、大学4回生のときは店員さんに同席してもらって決めました。
関西在住の方の場合、Always/ROYAL HORSE 周辺のジャムセッションで実物を見せてもらえる可能性があります。地元のバリサク奏者に声をかけてみるのが、本記事以外の判断材料を得る最も効率的な方法です。
まとめ——音で決める、視覚は補助、身体が判定機構
2軸(中音域ロングトーンの倍音/初音の鳴り)だけで判定する。残りは全部補助情報。私の Mark VI は試奏 5 分で「最初から鳴ってくれた」個体でした。15年使い続けています。
本記事は中古 Mark VI 個別の見抜き方の各論記事です。中古バリサク全般の判断軸の総論は中古バリトンサックス判断軸ハブに書きました。両記事を読むと、Mark VI 以外の Martin Committee III や現代セルマーを含めた全体像が掴めます。