バリトンサックスという楽器は「重い」「遅い」「ジャズ以外では使えない」という偏見を持たれがちだ。しかしロニー・キューバー(Ronnie Cuber, 1941–2022)はその偏見を、一人で完全に消し去った奏者だと言っていい。
ハードバップの激しいフレーズを吹き、ラテンジャズの情熱的なリズムに乗り、ファンク・R&Bのセッションでポップスの名盤を生み、そしてミンガス・ビッグバンドで "Moanin'" を世界中のリスナーに届ける——同一人物がここまで幅広く活動した「現代のバリトン奏者」は、他に類を見ない。
2022年10月7日、転倒による合併症のため80歳で逝去。そのバリトンが放った「太く、硬く、ソウルフルな音」は今も多くの録音の中に生きている。
生涯と形成的背景
クリスマスに生まれた「バリトンの申し子」
ロナルド・エドワード・キューバー(Ronald Edward Cuber)は1941年12月25日——クリスマスの日——ニューヨーク・ブルックリンに生まれた。9歳からクラリネットを習い、高校時代にテナーサックスへと転向。将来はテナー奏者になるものと思っていた。
しかし17歳のとき、人生が変わる出来事が起きる。ニューポート・ユース・バンドのオーディションを受けたところ、ディレクターから「バリトンサックスを買いなさい」と告げられ、バリトンを提供されたのだ。「テナーの子は大勢いるが、バリトンは足りない」——この実用的な理由がキューバーをバリトン奏者の道へと導いた。
多くの若者なら不満に思うかもしれない転向だったが、キューバーはバリトンを手にした瞬間、その楽器の可能性に魅了された。テナーで鍛えた速いフィンガリングと音楽的感覚を、バリトンという新しい「体」に移植することで、彼は独特のスタイルを生み出すことになる。
ジョージ・ベンソンとの出会い——NY シーンへのデビュー
1960年代初頭、キューバーはニューヨークのジャズシーンに本格デビュー。1966〜67年、ジョージ・ベンソンのグループに参加して頭角を現した。当時のベンソンはまだ若いジャズ・ギタリストで、後のポップスター路線に踏み込む前の「純粋なジャズ」を演奏していた時代だ。ここでキューバーはNY ジャズシーンの中心部に足を踏み入れた。
続いてメイナード・ファーガソン、ウディ・ハーマンなど著名なビッグバンドに参加。その後は独自のスモールグループでの活動と、膨大なスタジオワークの二本立てでキャリアを構築していった。
驚異的なジャンルの幅——「何でもできる」バリトン奏者
スタジオ・ミュージシャンとしての活動
キューバーは1960〜70年代から、ニューヨークを拠点とした「スタジオ・ミュージシャン」として引っ張りだこの存在になっていった。スタジオ・ミュージシャンとは、録音セッションに呼ばれてさまざまなアーティストの録音に参加するプロの演奏家だ。彼の名前はクレジットに小さく載ることが多いが、耳をすませば確かにそのバリトンの音が聴こえる。
参加した主なアーティスト・アルバムの一部:
- スティーリー・ダン("Gaucho" など)
- ポール・サイモン
- フランク・ザッパ
- B.B. キング
- エリック・クラプトン
- チャカ・カーン
- ビリー・ジョエル
スティーリー・ダンの「Gaucho」は、精緻なスタジオ録音の傑作として名高いアルバムだ。スティーリー・ダンはプロデューサーのウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンが、ありとあらゆる最高のスタジオ・ミュージシャンを集めて作るアルバムで知られていた。そこにキューバーのバリトンが必要とされたことは、彼の音の「質と存在感」を何より証明している。
ラテンジャズの世界——エディ・パルミエリとの共演
キューバーのもう一つの重要な活動軸が、ラテン・ジャズだ。特に「ラテン・ジャズの帝王」と呼ばれるピアニストエディ・パルミエリとの共演は、キューバーのキャリアを語る上で外せない。
パルミエリが率いるグループでのキューバーのバリトンは、サルサやラテン・リズムと完璧に融合しながら、同時にハードバップ的なフレーズも忘れない。ラテンのパーカッションとバリトンの「野性的な低音」の組み合わせは、独特の熱量を生み出す。これはキューバーだからこそできた表現だ。
ミンガス・ビッグバンド——伝説の "Moanin'" ソロ
1991年の結成から死まで在籍
1991年、チャールズ・ミンガスの未亡人スー・ミンガスがミンガス・ビッグバンドを創設した。ミンガスの音楽を生き続けさせるための楽団であり、キューバーはその創設メンバーの一人として参加し、2022年の死まで在籍し続けた。
ミンガス・ビッグバンドは現在もニューヨークで活動を続けており、毎週火曜日の夜には伝統的にクラブ「Jazz Standard」(現在は「The Jazz Gallery」等)で演奏していた時期もある。
"Moanin'" のソロ——YouTubeで数百万再生
ミンガス・ビッグバンドの演奏の中でも、キューバーのバリトンが最も輝いた一場面がある。チャールズ・ミンガスの代表曲"Moanin'"(「うめき声」)でのソロだ。
この曲でのキューバーのバリトンソロは、YouTubeに投稿された映像で数百万回再生されており、現代のバリトン奏者の間で「必見・必聴」の映像として広く知られている。演奏そのものを見たことがなくても「あのバリトンのソロ」と言えば伝わるほど、バリトン界での知名度は抜群だ。
そのソロの特徴は:
- 突然のLow A(最低音)への「爆撃」——予告なく最低音が飛び込んでくる衝撃
- 跳躍の激しいフレーズを一音も逃がさない正確さ——バリトンで跳躍することはそれだけで難しいが、それを高速で行う
- 野生的な「咆哮」と繊細な「歌」の共存——荒々しく見えて、実は緻密なコントロール下にある
このソロを聴いて「バリトンサックスってこんな楽器だったのか」と感じた人は世界中に無数にいる。キューバーが「現代バリトンの規範」と呼ばれる所以は、まさにここにある。
音楽的スタイルの解剖
「フィジカル」と「制御」の完璧な両立
キューバーのスタイルを一言で言うなら「フィジカルな音楽性と精密な制御の完璧な両立」だ。
多くの奏者は「激しく吹く」か「丁寧に吹く」かのどちらかに偏りがちだ。キューバーはその両方を同時にやってのけた。ミンガスの "Moanin'" で見せる野生的な咆哮は、実は一音一音が正確に意図されたものだ。「荒々しく聴こえるが、なぜかフレーズの輪郭が鮮明」——それがキューバーのサウンドの謎であり、魅力だ。
ジャンルをまたぐ「体の音楽性」
キューバーがハードバップ、ラテン、ファンク、R&B、ロックとあらゆるジャンルで活躍できた理由は、「頭で考えた音楽」ではなく「体で感じた音楽」を吹いていたからだと思われる。ラテンのリズムに乗るとき、彼のバリトンはそのリズムと一体化する。ファンクのグルーヴに乗るとき、彼の音はそのグルーヴを「体で発する」。この「体の音楽性」こそが、ジャンルを超えて通用する秘訣だった。
アルバム『Cubism』(1991年)——音楽観の集大成
キューバーのリーダー作の中でも最高傑作と評されるのが、『Cubism』(1991年)だ。ハード・バップのテクニック、R&Bの泥臭さ、ラテンの激しいリズムが一つのアルバムの中で統合されている。
タイトルの「Cubism」はキュビズム(立体派絵画)から来ており、「一つの物体を複数の視点から同時に描く」というコンセプトがそのまま音楽に反映されている——一つのバリトンから複数のジャンルの「顔」を同時に見せる、ということだ。
これを聴け!名演ガイド
1. "Moanin'" — ミンガス・ビッグバンド(YouTube必見)
収録アルバム:Charles Mingus Big Band 『Nostalgia in Times Square』ほか
まずはYouTubeで「Ronnie Cuber Moanin' Mingus Big Band」と検索してほしい。映像付きで彼の演奏を見ることができる。バリトンという楽器がこれほどダイナミックで、これほど「生命力に満ちた」演奏ができることを目の当たりにするはずだ。
2. 『Cubism』(1991年)——現代バリトンの金字塔
キューバーのリーダー作最高傑作。ハードバップ、ファンク、ラテンが一枚に凝縮されている。特に冒頭の "Cubism" と、バラードでの繊細な歌い方のコントラストを聴いてほしい。バリトンがここまで多彩な表情を持てることへの驚きが、この一枚に詰まっている。
3. 『Scene is Clean』(1994年)——ファンキーなバリトン
よりファンク、R&B寄りの作品。「太く、硬く、ソウルフルな」キューバーのバリトンをもっともストレートに体験できる一枚。ポップスのセッション参加で培った「グルーヴへの没入」がフルに発揮されている。
4. エディ・パルミエリとの共演録音
推薦盤:Eddie Palmieri 各種アルバム
ラテン・リズムとバリトンサックスの「幸福な融合」を体験したいなら、パルミエリとの共演録音。バリトンという楽器がラテンのパーカッションと組み合わさった時にどんな化学反応が起きるかがわかる。
5. Tough Baritones (Gary Smulyanとの共演)
収録アルバム:Ronnie Cuber & Gary Smulyan 『Tough Baritones』
ゲイリー・スマルヤンとのバリトン・デュオ。二本のバリトンが対話するという贅沢な内容。キューバーの「荒々しさ」とスマルヤンの「洗練」が対比され、バリトンの多様な可能性を一度に体験できる。
機材とセッティング——「現代バリトン」の基準
| カテゴリ | 詳細 |
|---|---|
| 楽器 | Selmer Mark VI バリトンサックス(Low A モデル)2本所有・使い分け |
| シリアル番号 | 129xxx(主力)と77xxx(サブ) |
| マウスピース | François Louis カスタムメタル(1989年以降、生涯使用) |
| リード | Rico Orange Box(3番前後) |
Selmer Mark VI Low A——「名器」への絶対的こだわり
キューバーが生涯使い続けたのは、Selmer Mark VIというバリトンサックスだ。Mark VIはSelmerが1954〜1974年の間に製造したモデルで、現在でも「史上最高のサックス」と呼ばれることが多い。
特に注目すべきは「Low A モデル」であること。通常のバリトンサックスの最低音は「B♭(シ♭)」だが、Low Aモデルはそれより半音低い「A(ラ)」まで出せる。この「最低音の拡張」がキューバーの「底なしの低音」を可能にしていた。
キューバーは2本のMark VIを所有し、状況に応じて使い分けていた(シリアル129xxx と 77xxx)。Mark VIは現在、中古市場でも非常に高価なヴィンテージ楽器として取引されており、その「音」への執念が伝わる。
François Louis カスタムメタル——「1989年から生涯」の選択
マウスピースについては、キューバー本人の証言がある。1989年、キューバーはベルギーのマウスピースメーカー、フランソワ・ルイ(François Louis)が作ったカスタムメタルマウスピースを手に入れ、「このマウスピースが自分のサウンドを決定した」と語った。
「フランソワが作ってくれたMPを手にした時、すぐにこれが正解だとわかった。それ以来ずっとこれが私のサウンドを決めている」(キューバー本人談、François Louis公式サイトより)
これは1989年から2022年の死まで——33年間——同じメーカーのマウスピースを使い続けたということだ。ペッパー・アダムスの「Berg Larsen 31年使用」と並んで、「一つのマウスピースを信頼して使い続ける」奏者の姿勢として語り継がれる。
なぜLow Aにこだわったのか
バリトンサックスのLow Aキーは、すべての奏者が使うわけではない。この1音(最低のA)を出すためだけに、楽器の機構が複雑になり、価格も上がる。しかしキューバーはここに絶対にこだわった。
その理由は「音楽的な選択肢」だ。Low Aがあることで、バリトンは音域の下限がさらに広がる。急にLow Aをぶち込んでくる瞬間——それがキューバーの音楽の「爆弾」だった。 "Moanin'" で見せる「底から来る衝撃」の正体は、このLow Aへの降下だ。
リードの選び方については「リードの選び方完全ガイド」もご覧ください。
ジャズ史における位置づけ
「現代バリトンの完成者」という称号
ハリー・カーネイが「始祖」、ジェリー・マリガンが「クールの定義者」、ペッパー・アダムスが「ハードバップの番人」だとすれば、ロニー・キューバーは「現代バリトンの完成者」だ。
「現代的」とはジャンルを横断する能力のことだ。ジャズはもちろん、ポップス、ファンク、ラテン、R&B——どのフィールドでも「バリトンが必要ならキューバー」という存在になった。楽器そのものの適用範囲を広げた——これが彼の歴史的功績だ。
次世代への影響
現代のバリトン奏者にとって、キューバーは最も身近な「お手本」だ。理由は単純——YouTubeで彼の演奏を今すぐ見られるからだ。"Moanin'" のソロは、バリトンを始めた若者が「こんな楽器を吹いてみたい」と思う最大の動機の一つになっている。
キューバーが設定したセッティング(François Louis カスタムメタル + Mark VI Low A + Rico #3)は、「現代のバリトン奏者が参考にするセッティング」として現在も多くの奏者の指標となっている。
2022年10月7日——最後の別れ
2022年10月7日、ロニー・キューバーは転倒による合併症のために80歳で逝去した。ミンガス・ビッグバンドを創設以来、31年間在籍し続けたメンバーを失ったバンドは声明を発表し、世界中のバリトン奏者からの追悼コメントがSNSに溢れた。
日本の音楽情報サイト「amass」でもその訃報は大きく取り上げられ、「バリト・サックス奏者の中で最も偉大な一人」という言葉で彼の死が報じられた。
キューバーが遺したものは録音だけでなく、「バリトンサックスはここまで使える楽器だ」という証明そのものだ。その証明は、これからもYouTubeの映像の中で、そして彼の影響を受けた奏者たちの演奏の中で、生き続ける。
バリトン奏者として、キューバーから学べること
1. 「Low A」がある楽器を考える
キューバーがLow Aにこだわったように、その1音がどれほど音楽の選択肢を広げるかを考えてみてほしい。バリトンを購入する際の選択肢として、Low A付きのモデルを真剣に検討する価値がある——特に現代のジャズを演奏したいなら。
2. ジャンルを「練習のフィールド」として使う
キューバーはラテン、ファンク、ポップスのセッションで演奏することで、ジャズだけでは得られない「リズムの体験」を積んだ。一見「ジャズと関係ない」と思えるジャンルへの挑戦が、音楽家としての幅を広げることがある。
3. 「爆弾音」は計算された驚き
"Moanin'" でのLow Aへの急降下は、「思いつきでやっているように見えて実は計算された驚き」だ。聴き手を「あっ」と思わせる瞬間を演出するために、いつ、どこで「それ」をやるかを考える——これは即興演奏における重要な戦略だ。
4. セッティングへの信頼——1989年から変えなかった理由
キューバーが33年間François Louisを使い続けたのは、「変えなかった」のではなく「これだと確信したから変える必要がなかった」のだ。自分のセッティングを「試行錯誤で常に変える」のではなく、「これだ」と思ったら信頼して使い込むこと——それも一つの正解だ。
まとめ
ロニー・キューバーはクリスマス生まれの「バリトンの申し子」として、80年間の人生でバリトンサックスの可能性を最大限に広げた。ハードバップ、ラテン、ファンク、ポップス——どのジャンルでも「必要とされる音」を持っていたこと、そしてミンガス・ビッグバンドの "Moanin'" で世界中のリスナーにバリトンの魅力を伝え続けたこと——これが彼の遺産だ。
François Louis カスタムメタルとMark VI Low Aが作り出した「太く、硬く、ソウルフルな」音は、現代のバリトン奏者が目指すサウンドの一つの基準として今も輝いている。
まだ "Moanin'" のソロを聴いたことがないなら、今すぐYouTubeで検索してほしい。その音が、あなたのバリトン観を変えるかもしれない。